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こんにちは。
イラストレーターのHaijiです。ほっこり優しい癒し系のイラストを描いています。
ただいま開催中の東京・銀座でのグループ展「浪速GIRLIE vol.1」の搬入と在廊のため、先週末は東京に滞在していました。
こちらは今週末19日(土)まで開催してるのでお近くの方はぜひ!
滞在最終日の15日に時間が空いたので、ギャラリーと同じく東京・汐留エリアにある「アドミュージアム東京」に遊びに行ってみたらめちゃくちゃ面白かったので備忘録的に書いておきます。
このミュージアムは広告に関する展示をしていて、常設展と企画展がありました。
常設展は日本の広告の歴史が、江戸、明治、大正、昭和、平成と順番に展示してあります。
この記事では常設展に行って知ったことと感想を書いています。
江戸時代の広告
私が1番面白いと感じたのは江戸時代。
江戸時代中期から後期には出版が一気に広まったのですが、これは寺子屋のおかげで皆読み書きがある程度できたため、出版が広まり、定着したということです。
ブランド
江戸時代エリアには当時使われていた看板が掲げてありました。
筆屋、あめ屋などがひと目でわかる看板を使うようになったそうです。
マーケティング
江戸の呉服店「越後屋」の創業者・三井高利(たかとし)はそれまでになかった商法を連発しました。
●初めてチラシを作る
当時は「引札(ひきふだ)」という名前でした
●売上の調査
江戸の人口が100万人の当時、三井高利は引札を50万部刷って江戸の街にポスティングさせました。そしてポスティングの次の日から一週間、売上がどう変化するかの統計を毎日とりました。これを何回も行いました。
●流行の調査
番頭さんを店の前に立たせ、街ゆく人の着物の柄をチェック、どんな着物が流行っているかを調査させました。
●日本で初めてのキャッチコピー
チラシの文句「根元 現銀掛け値なし」は日本初めてのキャッチコピーと言われています。
●手数料無しの概念
「現銀掛け値なし」というのは手数料をとらないよという意味です。それまでの呉服販売というのは訪問販売が主流でした。訪問販売は訪問する人の賃金が発生しますが、越後屋まで来て買ってくれるとその部分の手数料はとらないで安く買えるよという意味です。
●元祖の概念
「根元」というのは「元祖」という意味です。越後屋が「現銀掛け値なし」を始めると他の呉服店(大丸とか)も真似して手数料無しの謳い文句を使い始めましたが、さすがに「根元」と書けるのは越後屋のみだったのでここで他との差別化をしています。
●貸し傘で無料広告
また越後屋はにわか雨の際に人々に無料で傘を貸し出しました。傘には大きく「越後屋」と書いてあり、その傘は無料で街中を宣伝してまわってくれるというしかけです。
この越後屋の商法を知ってとにかく感動しました。この時代にこんなことを考えて実践していた人がいたのかと。経営学者のピータードラッカーは「世界のマーケティングは越後屋の三井によって始まる」と記載しているそうです。
企業タイアップ
当時流行っていた歌舞伎の劇中の中に実際の商品やお店を取り上げ、人々の購買意欲を誘いました。今でいう企業タイアップのようなものです。
また景品として配られていた「絵双六(えすごろく)」にも実際のお店や商品を載せてあり、遊びの中で上手に宣伝していました。
イベント
江戸時代も様々なイベントがあり、人集めのために外国から像やラクダを呼んできたりしました。
江戸時代の広告仕掛け人たち
●平賀源内(ひらがげんない)
・江戸時代のアイデアマンであり日本で最初のコピーライター。「エレキテル」を発明。
・土用の丑の日にうなぎを食べる、という文化の仕掛け人。それまで土用の丑の日は「う」のつく食べ物を食べようという風習はあったけど、それはうなぎと決まっていたわけではありませんでした。売り上げが上がらず泣きついて来たうなぎ屋の友人に対して「土用の丑の日はうなぎを食べよう、という内容の紙を張り出したらどうだ」と提案して、それが大ヒットになったということです。
・箱入りの歯磨き粉「嗽石香(そうせきこう)」の引札でつけた、「とりあえず千葉の砂に香りをつけました。効果はわからないがまぁ歯が磨ければ良いでしょう」という斜に構えたような宣伝文句が大ウケし、それまでの引札の世界をいっぺんさせました。今でこそ、そういうひねくれた宣伝文句は珍しくないですが、こんな昔から使われていた手法だったなんて本当におどろきました。
(※関係ないけど「嗽」の字は一文字で「くちすすぐ」と読むそうです、そんな漢字があるのか〜)
●十返舎一九(じっぺんしゃいっく)
・滑稽本「東海道中膝栗毛」が空前のベストセラーとなり、日本で初めて文章で生計を立てた人物です。引札や挿絵も手がけました。
・「東海道中膝栗毛」は主人公の二人の男が江戸から東海道を通り伊勢や京都・大阪に向かう旅の道中行く先々でさわぎを起こす小説です。その中に実際の観光地や施設を宣伝がてら登場させて、企業などからお金をもらっていたらしいです。
明治時代の広告
赤色の輸入
明治時代は文明開化でさまざまなものが日本に入ってきましたが、赤色のインクもこのタイミングで
日本に入って来ました。その影響でチラシやポスターに鮮やかな赤色が使われるようになり、広告が一気に華やかになりました。
新聞・雑誌が誕生
明治5年には日本はじめての日刊新聞である「横浜毎日新聞」が発行されました。この横浜毎日新聞では一面がすべてびっしり広告になっています。この新聞ではじめて「広告」という言葉が生まれました。それまでの広告は「広め」と呼ばれていました。
和の概念
明治時代・それ以降に外国から入って来たものを「洋」と呼びました。洋服、洋食、洋酒といった具合です。洋物に対して江戸時代以前から日本にあるものを「和」と呼びました。外国のものが入ってきてはじめて「和の概念」が生まれたというのはとても面白いなと思いました。
大正時代の広告
西洋から写真・印刷技術が導入され、広告はより技巧的になりました。アール・ヌーヴォーの流れを取り入れたモダンなデザインですね。三越呉服店の「春の新柄陳列会」という文字が入りますが、絵は毎回使い回しで文字はこの外に貼り付けられたそうです。
昭和初期の広告
この頃は日本でも海外旅行が流行り、外国から旅行者がくるようにもなっていました。外国人向けの「日本の電車って速いよ」とアピールしたポスター(上写真の左)のデザインがとにかくかっこいいと思いました!これはパリ万博で金賞を受賞したデザインだそうですが、こんな表現がこの時代にあって、ちゃんと認める人がいたんだということにかなりびっくりしました。
戦時中の広告
戦時中は自由な広告は制限され、ポスターも「ぜいたくは敵だ」「撃ちてし止まむ」など軍事色の強いものになっていきました。資源がなかったのでポスターの紙質も悪かったそうです。
戦後の広告
戦争が終わり広告やポスターも明るい時代を象徴するようなものになっていきました。はじめてのシンボルマーク、はじめての写真を使用した東京オリンピックのポスターや大阪万博のポスターも印象に残りましたが、私がこの時代で一番印象に残ったのが1970年にはじまった日本国有鉄道(今のJR)のキャンペーンである「DISCOVER JAPAN」です。万博が終わって売り上げガタ落ちの国鉄が、若い女性にお金を落としてもらおうと始めたキャンペーンだったということでした。
最後に
だいぶ端折って説明しましたが、江戸時代から現代にかけての広告の歴史の紹介がずらりと並んでいてだいぶ面白い展示でした。
実際の展示よりも詳しいところまで知ることができたのは、この時物知りのスタッフさんがずっと説明しながら一緒に展示をまわってくださったからです。めっちゃラッキーでした。(物知りスタッフさんあの時は本当にありがとうございました)
こんなに面白いアドミュージアム東京の入館料はなんと無料!!
東京・汐留エリアに行った際にはぜひ遊びに行ってみてください。
アドミュージアム東京
〒105-7090 東京都港区東新橋 1-8-2 カレッタ汐留
TEL:03-6218-2500 | FAX:03-6218-2504
TEL:03-6218-2500 | FAX:03-6218-2504
休館日:日、月
入館料:無料